pachiizonのブログ

パチンコ・パチスロ依存症のオジサンが回復への道を歩きます

パチンコ依存症からの回復への道 その1

この記事が、私のブログのスタートになります。初めての記事は私がどうやってパチンコ地獄から抜け出したのかを簡潔に書こうと思います。

好き勝手に書きますので、ご気分を害する方もいらっしゃると思いますがよろしくお願いします。


私は、2017年11月16日にパチンコから離れられました。間も無く半年が経とうとしてますが、離れたと言っても頭の中にまだパチンコは居座ってます。夢にも出て来るし恐らく店に入ったらまた打たなくてはいられなくなるでしょう。


半年前まではパチンコとパチスロをやめる事が出来ず、嘘や盗みを繰り返してお金を作り毎日のようにパチンコ屋に通いました。パチンコで作った借金はパチンコで返す、パチンコに行かなければ手元の金は増えないなど、パチンコをしなければいけない理由を作り出していました。

ギャンブルはやればやるほど負ける事、明日のガソリンも無くタバコを買う事も出来なくなるまでやり続けました。

そうです。健康な人から見れば明らかに異常な状態であり、しかも自分自身もそんな生活から抜け出さなくてはいけない事はわかっていました。わかってはいるけどやめられませんでした。

そのうちに家族にずっと隠していた借金が返済出来なくなり家には督促が届きました。家族からは責められ、もう3度目であきられ、ついにもう家に帰って来ないでと言われました。仕方なく私は実家に戻ることになります。

それからも私は懲りずに毎日パチンコを打ち続けました。懲りずにというか、やらずにはいられなくなっていたと言うべきでしょうか。


自分でもギャンブル依存症とわかっていました。もう10年以上前からパチンコで作った借金がありましたし、やめようと思っても無理でした。

以前、家族に連れられT病院に行き医師からもギャンブル依存症と診断されてました。しかし、ギャンブル依存症に効く薬も無くただ自助グループに行きなさいと言われるだけ。自助グループに行かなかった私は回復する訳がなく、

しかも当時、家族には自助グループに行くと嘘をつきパチンコをしていました。


パチンコをやった後は、勝とうが負けようが凄まじい罪悪感と後悔に苛まやれました。

毎日、死ぬしかない。死ねば保険金で借金を返済し、妻も子供も他の家族も自分が居なければ問題は無くなり皆が幸せに暮らせるだろうと思ってました。

ネットでロープの結び方や自殺の名所などを調べ、いつ決行しようかと考えていました。

でも、怖くて死ねませんでした。そして自分は死ね事も出来ない人間のクズだと責め、精神的に辛い日々を過ごしました。


こんなクズ人間がパチンコをやめたキッカケは仙台市のT病院への入院でした。もうダメだと思った時に以前入院して治療しないかと勧められた事を、思い出しました。死ぬ前に一度試してみてそれでもダメなら死ねばいいかと軽い気持ちでしたが、会社や家族全員にギャンブル依存症だと打ち明けなければならず少なからず入院する事に対し迷いもありました。しかし、このままでは絶対にやめられない事は自分自身が一番わかっていたんです。

そして11月某日、T病院に入院する事になりました。


この続きはその2にて