pachiizonのブログ

パチンコ・パチスロ依存症のオジサンが回復への道を歩きます

パチンコ依存症はちょっとした事では良くならないと知れ!

パチンコ依存症はちょっとした環境の変化では良くなりません。


これは重度のパチンコ依存症の私が経験済みです。


私は10年前に結婚しました。結婚前には既に依存症になっており数年が経っていました。勿論、借金もありましたが金額は約40万円くらいでした。

独身の時なら借金してパチンコをしようが勝手でしたが、結婚をするとなるとそういう訳には行きません。私もそう思ってました。だから妻に言う訳もなく、借金を隠して結婚しました。


私の中には好きな人と一緒に居る訳だし、これをきっかけにパチンコをやめようと本気で思ってました。しかし、既に依存症になっていた私は一緒に居る時間はパチンコに行けないので、だんだんイライラするようになりました。

また、パチンコで作った借金を早く返してバレないようにしようと考えてました。早く返すには大きく勝つか、少しずつでも勝って返そうと。それが間違いでした。

行けば行くほど負けが増え、借金もあっと言う間に増えていきます。


そして遂に家に督促状が届きます。最初は何とか誤魔化せていましたが、やがて不信感が募りとうとうバレてしまいます。

もう二度とやらないと誓い、全部返済してもらいました。いわゆるイネイブリングです。


借金が綺麗になった自分は懲りずにまた借金をします。どんどん悪い方向へ進んで行きました。

そんな時、子供が出来ました。二人ともとても喜びました。私は可愛い子供が産まれたら今度こそきっとパチンコをやめると心に誓いました。


私の決心などガラスよりも弱く、すぐに崩れ去るわけですが…


結婚も子供も大きく環境が変わる要因だし、責任が重くなる事できっとやめられると思うのは、ごく普通の事です。でも依存症は強く深く根付いてしまっていて、自分一人ではコントロール出来ない事に気付いていませんでした。


私以外の人は、家族を不幸にする前に気付いて下さい。仕事を変えた、住む所が変わったくらいでは結局元の木阿弥です。


貴方も同じような経験お有りでは無いですか?

パチンコ依存症からの回復への道 その3

T病院を退院してから、10日程で仕事に復帰しました。

復帰するまでは同僚や上司からの目が気になっていましたが、セクハラやパワハラが騒がれる時代もあってか特に文句や嫌味を言われる事も無く復帰できました。


順調に時間が過ぎ安心していましたが、家族の問題が解決していない私は急激にまた気持ちが沈んでしまいました。

自分は結婚してから妻に迷惑をかけ続けました。借金の事、パチンコの事で嘘をつきまくっていた事、いつしか何も話さなくなっていた事。自分の想像を遥かに超える程、傷つけたと思います。

今でも何も償えておらず、埋め合わせも出来ていません。まだ自分の事で精一杯で…


パチンコ依存症は薬がありません。しかも一度狂ってしまった全ての物(脳や金銭感覚など)は二度と元には戻りません。


パチンコには行かなくなりましたが、お金を握られてる為、買いたい物も買えません。借金もあと何年もかかるほどあり、お金なんかありません。自分が悪いのに小遣いが少ない事やタバコの事を言われると腹が立ったり、もう自分がやって来た事なんて忘れているんです。

改心なんてこれっぽっちもしていない事に気付きました。


どれほど自分勝手で人に迷惑をかければ気が済むのか。因果応報、全て自分がやった事だしこんな状況にしたのも自分のせいだとわかっている。

これは病気の症状なのか?違うのか?いや病気のせいであって欲しい。

自分は今、変わりたいと思いつつも変われないと感じ始めている。そう、まだまだ回復の道を歩き始めたばかりで何も変わっていない。たった一つだけ変わった事はパチンコを打っていない事だけだ。


一つだけしか変われてないけど、このたった一つの事を継続して行かなければ。

パチンコ依存症からの回復への道 その2

11月某日にT病院に入院しました。


私は入院10日前に最後のパチンコに行きました。確か一番最後に打った台はクランキーセレブレーションだったと思います。結果は勿論負けました。


当時はもう手元にはお金が無く、1円パチンコと5円スロットばかりやってました。最終的には3千円、いや千円でも財布に入っていれば打ちに行っていました。


もはや勝ち負けではなく打っている間の快感を求めているだけでした。薬物依存の状態です。行動嗜癖と言いますが、やっている間は脳内快感物質が出るので薬物依存とほぼ同じ状態です。

ドーパミンとエンドルフィンを求めてパチンコ・パチスロを打つ訳です。


勝ちを求めている訳では無いので、負ける確率はグンと上がります。負ければまたお金を求めるので、悪循環のスパイラルに陥ります。


そして迎えた入院初日、病院に向かう道中悪魔が囁きました。トイレに行きたくなったのですが、パチンコ屋に寄って用を足せばいいじゃないかと…

入院の準備金を持っていた私は囁きになす術も無く、頭の中では間も無く右側にあるパチンコ店に寄る予定になっていました。

その店に差し掛かった時、対向車が続きわざわざ止まってやり過ごすのは面倒だと思った私はそのまま直進したのでした。なぜそのような判断をしたのか今でもわかりません。ただ不思議な力が作用したかのように止まらず素通りしたのでした。


無事に病院に到着し、入院の手続きをしました。病棟に入ると周りはアルコール依存症の方々ばかりで異様な光景でした。作りとしては老人ホームのような感じで居心地はあまり良さそうではなく不安な気持ちになりました。

すぐにお友達も出来、苦しくもあり楽しくもある日々を過ごしました。

3ヶ月という期間で今までの自分とはどんな生き方、考え方をして来たか。それを考える事、自分はどうしたらやめ続けて行けるのか?の答えを見つける事が出来ました。

私がパチンコをやめる事が出来た一番の要因は、入院した事でパチンコ・パチスロと距離を置けた事だと思います。やめ続けるのにやる事はただ一つ、【今日一日打たないこと】それだけですから。


何年もやめていた人が、またパチンコ地獄に転落する事も良くあります。もう二度とパチンコに支配された脳は戻る事はありません。やめた時間がいくら長くなっても最初の1回に手を出すまでの時間は皆、一緒です。

我慢って我慢し続けると、意外と楽になったりするものかも知れません。


私は、入院したり施設に入って治療する事は周りの環境を変える意味でもとても有効だと思います。本当に苦しくて変わりたいと思うならば、一歩踏み出しましょう。


入院中のエピソードは個人が特定される恐れがあり、書く事が出来ません。今後、出来るだけ工夫しながらご紹介していきたいと思っています。ご了承下さい。


パチンコ・パチスロ依存症3つの質問

パチンコパチスロ依存症の3つの質問


皆さん、こんにちは。


ご自身がパチンコ・パチスロ依存症かどうか3つの質問に答えるだけでわかります。

信じるか信じないかはあなた次第ですが、自分自身が一番わかると思います。



それでは以下の質問に答えてみて下さい。


1.パチンコ・パチスロをしないとイライラしている


2.パチンコ・パチスロをするために嘘をついている


3.パチンコ・パチスロをするために借金をした



いかがですか?

3つ全て当てはまる人はほぼ間違いなく依存症です。


最近、芸能人のお酒での事件がありましたね。恐らく彼はアルコール依存症です。依存症の人は自分では認めたがらないので、否認の病気とも言われています。


今まで色んな辛い事があって、パチンコがその嫌な気持ちを忘れさせてくれましたね。あなたはパチンコがなければ生きて来られなかったのです。

でも今のあなたはパチンコに苦しめられてませんか?私も十数年間パチンコに苦しめられました。あんなに大好きで打っていたのに…


私のように苦しんでいるなら、一緒にパチンコ・パチスロの無い生活をしてみませんか?


パチンコ依存症からの回復への道 その1

この記事が、私のブログのスタートになります。初めての記事は私がどうやってパチンコ地獄から抜け出したのかを簡潔に書こうと思います。

好き勝手に書きますので、ご気分を害する方もいらっしゃると思いますがよろしくお願いします。


私は、2017年11月16日にパチンコから離れられました。間も無く半年が経とうとしてますが、離れたと言っても頭の中にまだパチンコは居座ってます。夢にも出て来るし恐らく店に入ったらまた打たなくてはいられなくなるでしょう。


半年前まではパチンコとパチスロをやめる事が出来ず、嘘や盗みを繰り返してお金を作り毎日のようにパチンコ屋に通いました。パチンコで作った借金はパチンコで返す、パチンコに行かなければ手元の金は増えないなど、パチンコをしなければいけない理由を作り出していました。

ギャンブルはやればやるほど負ける事、明日のガソリンも無くタバコを買う事も出来なくなるまでやり続けました。

そうです。健康な人から見れば明らかに異常な状態であり、しかも自分自身もそんな生活から抜け出さなくてはいけない事はわかっていました。わかってはいるけどやめられませんでした。

そのうちに家族にずっと隠していた借金が返済出来なくなり家には督促が届きました。家族からは責められ、もう3度目であきられ、ついにもう家に帰って来ないでと言われました。仕方なく私は実家に戻ることになります。

それからも私は懲りずに毎日パチンコを打ち続けました。懲りずにというか、やらずにはいられなくなっていたと言うべきでしょうか。


自分でもギャンブル依存症とわかっていました。もう10年以上前からパチンコで作った借金がありましたし、やめようと思っても無理でした。

以前、家族に連れられT病院に行き医師からもギャンブル依存症と診断されてました。しかし、ギャンブル依存症に効く薬も無くただ自助グループに行きなさいと言われるだけ。自助グループに行かなかった私は回復する訳がなく、

しかも当時、家族には自助グループに行くと嘘をつきパチンコをしていました。


パチンコをやった後は、勝とうが負けようが凄まじい罪悪感と後悔に苛まやれました。

毎日、死ぬしかない。死ねば保険金で借金を返済し、妻も子供も他の家族も自分が居なければ問題は無くなり皆が幸せに暮らせるだろうと思ってました。

ネットでロープの結び方や自殺の名所などを調べ、いつ決行しようかと考えていました。

でも、怖くて死ねませんでした。そして自分は死ね事も出来ない人間のクズだと責め、精神的に辛い日々を過ごしました。


こんなクズ人間がパチンコをやめたキッカケは仙台市のT病院への入院でした。もうダメだと思った時に以前入院して治療しないかと勧められた事を、思い出しました。死ぬ前に一度試してみてそれでもダメなら死ねばいいかと軽い気持ちでしたが、会社や家族全員にギャンブル依存症だと打ち明けなければならず少なからず入院する事に対し迷いもありました。しかし、このままでは絶対にやめられない事は自分自身が一番わかっていたんです。

そして11月某日、T病院に入院する事になりました。


この続きはその2にて